700年旅をした光の気持ち

梅雨空の合間を狙った昨夜、ほぼ満月の明かりの中でらせん星雲(NGC 7293 Helix)を撮影しました。結果は・・・惨敗です。薄い雲越しの撮影で、30秒露出のイメージが12枚だけでした。

らせん星雲 (30秒露出,ISO6400)
らせん星雲 (30秒露出,ISO6400)

でも負け惜しみではなく、それでも撮影できて嬉しい自分がいます。その気持ちは、いま使っている望遠鏡で初めてアンドロメダ銀河を見たときの感動に遡ります。

250万年の旅を終えて

9年前に望遠鏡を手に入れて、月、土星、木星、スバル、オリオン大星雲を一通り見ると、やはり次は銀河! 当時は小学生だった娘とアンドロメダ銀河を大捜索しました。しかし2等星くらいまでしか見えない横浜市街なのでなかなか見つからず苦戦していると「わ〜」と娘が歓声を。「これ!」という声に促されて接眼レンズを覗くと、確かにぼんやりと雲のようなものがかすかに見えます。レンズの曇りかもしれないと、少し動かして見ましたが像も動きます。アンドロメダ銀河で間違いないでしょう。ぼんやりとしたかすみから、その昔はアンドロメダ「星雲」と呼ばれていたのも納得できます。(ちなみに私は学校でアンドロメダ星雲と習いました…)

写真で見るような立派な銀河ではないけれど、泣けそうに感動したのはある想いがよぎったからです。

光は波でもあり粒子でもあります。ものが見えるのは、網膜に光の粒があたって電気信号に変えられて脳に届いて認識されるから。アンドロメダ銀河から250万年前に出発した光の粒が、宇宙を孤独に旅して、私の網膜に当たっていま旅を終えたのです。

最初に出た光たちは、いまアンドロメダを中心に半径250万光年の球状に広がっています。そんな広大な宇宙に散らばって大冒険した光の粒の一つが、口径13cmの望遠鏡にストンとはいって、数ミリの私の網膜にぶつかって旅を終える、というイメージが頭に浮かびました。惜しくも地上にぶつかってしまった光子もいますし、望遠鏡にはいっても見てもらえなかった光子もいます。そもそもほとんどの光子は地球をスルーして、まだ宇宙を旅しています。ここで光の粒に出会ったことは奇跡に思えるのです。

よくぞ危機を乗り越えてやってきてくれた

そう考えると、昨夜のらせん星雲も失敗ではなくて、よくぞ満月の月明かりの中を、雲の切れ間をぬって撮像素子まで届いてくれた!という気分です。

ファインダー越しに映る天体を見る時、大袈裟ではなくいつもそんな気持ちがしています。本ブログの望遠鏡のイラストもそんな想いを下手な絵にしています(伝わらないww)。

う〜〜ん、壮大な言い訳をしてしまった・・・

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<撮影データ>
2020年7月5日2時24分38秒〜
Vixen R130Sf (650mm, F5)
Fujifilm X-T30
露出 30秒
ISO6400
Unitec SWAT-310-Vspecでノータッチ追尾
PixInsightにて画像処理
トリミングあり

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