技術進化と天体写真

テクノロジーが進化した結果、それまでつちかったスキルが無用になるような経験を、私たちは何度もしています。たとえば私は最近、AIのコーディングエージェントであるClaude Codeでのプログラミングを始めました。その威力はすさまじく、20代の頃はプログラミングに夢中になっていた私にとって、なんだか人生を否定されたような気分。天体写真の世界でも同じことが繰り返されています。星の追尾がオートマティックになり、撮影がフィルムからデジタルになり、進化が進むごとに、これまでのテクニックが無用の長物になっていきます。

私はデジタルから天体写真を始めたので、どちらかというと先人たちの努力に乗っかり、恩恵にあずかってきた側の人間です。それでも自分が身につけた画像処理のテクニックがクリック一発で自動化され、さらにはAIによって簡単になっていくのを体験すると、正直、寂しい気持ちになるのも否定できません。私の場合、技術を広める努力もしてきたので、事情はより複雑です。

過去につちかったスキルは技術が進化すると価値を持たなります。ではその時、制作された作品はどうなるのか? 

作品のもつ時代性

私は、芸術作品など全ての創作物は「作品単体ではなく、作家のおかれた環境、文脈など、その時代背景を知ることで深く理解できるようになる」と考えています。

たとえばいま大阪でフェルメール展が開催されています。日本で人気のあるフェルメールの作品は「真珠の耳飾りの少女」や「牛乳を注ぐ女」など鮮烈な青い色を使った絵画が特徴的です。そしてこの鮮明な青色は、当時、普通に入手できる画材では表現できず、アフガニスタン産のラピスラズリという鉱石をすりつぶして作り出しました。ラピスラズリの価格は金よりも高かったそうです。フェルメールの言動の記録はほとんど残っていないので、作り出した青色で何を表現したかったのか、本人の言葉ではわかりません。しかしそうまでしても表現したかった何かがフェルメールにあったのでしょう。そしてそれが可能となる手段が、高価なラピスラズリを原料とした顔料だったのです。そんな事実が私たちの心を動かし、フェルメールが何を表現したかったのか知りたいと考える動機になります。現在の絵の具を使えば、簡単に同じ色を再現できると思います。しかしフェルメールが生きた当時にはそんな絵の具は存在しておらず、しかしどうしても青色を使って表現したいものがあった。だから宝石を砕くような無茶をしてまで形にした。少女のターバンの青い色を見た時に、フェルメールがどんな思いで描いたのか?そんなことまで感情をいれていくと、違う見方ができると思います。

また映画スター・ウォーズが来年、公開50周年を迎えて盛り上がっています。スター・ウォーズの最初の作品は、そのワクワクドキドキのストーリもさることながら、宇宙船が飛び交う特撮シーンに心を踊らされました。現在ならばそれらのシーンはCGで簡単に作ることができるでしょう。しかしCGがなかった時代に、それでも「宇宙の戦闘シーンを撮りたい」と、たった数十秒のカットに、数ヶ月かけてミニチュア模型を使って撮影する。そこにも「これを表現したい」という制作者の熱い思いと、そのとき入手できるテクノロジーを使い切って撮影した映画だから、その時代の熱気もあいまって、いまも視聴に耐える作品なのだと思います。

昔のフィルム時代の天体写真が飾ってあるのを見た時に心奪われることがあります。「どうしてもこのオリオン大星雲やアンドロメダを撮りたい」という思いで一晩かけて撮影をしている姿が垣間みえたり、フィルムを現像したときに「おお、ちゃんと写っていた」という興奮が伝わってくるからなんでしょう。そんなことを考えて私はドキドキします。

 「自分がなんとしても表現したいことがあり、その時代の技術を使い尽くした」

テクノロジーが価値を失っても、その時代の文脈の中で作られた作品の価値は消えないのです。

「目新しさ」が「当たり前」の中に溶けていく

私が天体写真家としてはじめて評価をいただいたのは、2021年に制作した「ケンタウルスAのジェット」という2枚の写真です。

NGC5128 ケンタウルスA
ケンタウルスAから吹き出すジェット

2021年の段階では目新しさもあり、驚きを持って評価いただけました。しかしそれからわずか5年後のいまでは、機材や画像処理技術の進化もあって、世の中でわりと見かけるような写真の一つになりました。

この写真の実現には、いろんな工夫や努力をしました。チリ人の友人と「日本人が使える観測所を建設しよう」というアイデアが出てきてから、現地の業者と交渉して実現するまでに1年半くらいかかりました。またブラックホール由来のジェットを描出するための画像処理も、1ヶ月以上の試行錯誤をして100時間くらい画像処理をしていました(処理方法はこちらに公開しています)。

その後の数年の間に機材が進化し、リモート撮影も身近になり、画像処理も普及したり自動化されて、当時あった「目新しさ」は「当たり前」の中に溶けていきました。自分も「すごいの民主化」という掛け声のもと、チリのリモート環境を提供したり、画像処理の普及に力を注いだりしてきたので、その共犯であることも自覚しています。

それでも、そのとき自分でもよく頑張ったと思いますし、熱に浮かされたようにやっていた感覚もあります。その時代に自分が取れる手段を全部やりました。そんな思いもあって価値の消えない写真だと思っています。

技術が変わった時、新たな価値がうまれる

しかし時代性の中で作品は輝くと考えながら「あの時代の技術の中でよく頑張った」だけではノスタルジーになってしまいます。写真という技術が登場する前の絵画は、精密な描写のものが多くありました。記録の意味もあったのだと思います。私も美術館で「とても人間が描いたものとは思えない」精緻な絵画をたくさん見てきました。しかしそんな超絶技巧だけの絵画の多くは、歴史の中で消えていったように思います。そして今も残りつづけるのは「そこで何かを表現したかった」という「何か」がある作品でしょう。

さらには写真が発明されるのと同じタイミングで、モネを代表とする印象派の画家が登場しました。印象派の画家は「チューブ式絵の具」という新しい技術革新も得て、屋外で絵画を描き始めます。そして点描などの技法で、移り変わる光と色を捉えることに成功しました。新たな技術が新しい表現を後押ししたののです。

また「すごいの民主化」が起きると、大衆化も起きます。天体写真は小さなコミュニティですが、スマート望遠鏡やAIなどによる天体撮影や画像処理の技術の大衆化が起きて、天体写真がより多くの人々の目にとまるようになると、作家が伝えることも変わってくるかもしれません。私が2023年に「宇宙は不思議で美しい」というテーマで個展をしたときも、来場者の8割の方は天体写真を見たことのない人々で、宇宙の不思議さや美しさを堪能していただけたと感じました。見る人が多くなってくると、小さなコミュニティでは気が付かなかった新しい価値も見出されてくるのだと思います。

新たな技術が新しい表現を生み、技術の大衆化が新しい価値を生む。そんな世界が天体写真に起きてくるように思います。

これから

さて、なんで私がいまになってこんな回顧録みたいな文章を書いているのか?

最近になって私は一つの経験をしました。撮影した馬頭星雲を横2m、縦75cmの大きなサイズにプリントしました。それで何を感じるか知ってみたかったのです。

大きな馬頭星雲

やってみて感じたのは

 「ああ、これでいったん終わりにしよう」

という感覚でした。終わりというのは天体写真を、です。それほど結果に満足したわけでもなく、納得したわけでもないのですが、なぜだかそんな感覚がありました。これからも画像処理の発信は続けていきますし、天体写真の制作は続けます。だけど「ガチでやるのはここまでにしよう」って思いました。

そうすると、不思議なことに天体写真に関する新しいアイデアが生まれてきました。人間ってつくづく

 「息は、吐かないと吸えない」

のだと思います。

というわけで、新・丹羽雅彦の登場です。新しいアイデアを形にできるのは来年の中頃と思います。また、これまで通りの撮影も続けます。

大きく出てしまいました! だけど、大きく出たほうが面白いし、自分でも盛り上がる。

乞うご期待です。

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